会津北嶺高校はキリスト教主義の学校ですので、聖書の授業があり礼拝があります。
しかし、生徒さんは信徒(洗礼を受けた方)でも、求道者(教会に集っている方)でもありません。キリスト教主義を学んでいるだけです。ですから主の祈りはしません。
生徒さんが自ら教会に行かれ、求道者にならない限り、主の祈りは致しません。「主の祈り」を暗記しているような生徒さんはいらっしゃいません。
写真にあるように、聖書、賛美歌、教科書1年、2年、3年 そして副教材です。聖書の授業は3年間で105時間行われます。
信徒・求道者の「主の祈り」とは
私たちが神に対し自ら祈りをしようとする時、何を祈ったらよいのか困ってしまうことがあります。また、長い間自己流の祈りをしていると知らず知らずのうちに自分の願いばかりの祈りになってしまうことがあります。
そんな時に主イエス・キリストご自身が教えてくださった祈りこそが主の祈りなのです。(新約聖書マタイによる福音書第6章9節~13節・同ルカによる福音書第11章2節~4節)
即ち、主の祈りは私たちの祈りの模範であり、指針となるものです。
主の祈り
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を
今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。