会津北嶺高等学校

建学の精神は「博愛・自由・平等」

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校長の昔話。野球部監督だった目黒勝男先生のこと。

その前に私が会津北嶺の生徒だった昭和41年~43年の頃は、今の県立博物館のところに野球場があり、男子全員が土曜日か日曜日に応援に、当時はブラスバンドもあり、応援団もフェレーと800人以上で大声を張り上げ応援したものでした。市内リーグ戦で負けた記憶が無いのですが・・・資料によると当時の東北大会、昭和39年1回戦3-2、昭和40年1回戦11-1、昭和41年1回戦は4-7、昭和42年1回戦は5-1、だったので、母校は強い方の部類とか思っていましたし、昔は強かったの、自慢話を先輩達に聞かされました。今回勝敗のデータを初めて見たらひどいものでした。私が会津北嶺に勤務して12年ぐらいたった頃、監督の目黒勝男先生が神指城址ある会津北嶺の野球場に重機を持ち込んでビックリするぐらいに、ブルドーザーやパワーショベル、ロードローラ使いこなしていたことを思い出します。当時珍しいバッテングマシーンやマイクロバス購入、部員も増え、平成3年1回戦5-7、平成4年1回戦1-8ではありますが、点が取れるようになり、平成5年夏1回戦8-7、2回戦10-6、3回戦には夏の甲子園出場経験校に0-12で涙をのんだ。当時は負けが込んでいたチームが勝ったので新聞やTV報道され、当時私もうれしかった思い出があります。その後生徒数の減少で部員も減り、マイクロバスも無くなり、練習時間も少なかったように見受けられました。創部39年間にいったん幕を引くことになり、私達卒業生としては野球シーズンなるとさみしい思いしていました。39年間でチームを率いて県大会2勝した監督は目黒勝先生だけです。

あれから16年2018(平成30)年、再結成、16年ぶりに野球部復活。硬式野球部監督に元第一工大(鹿児島県)硬式野球部コーチの篠原良先生(29)を迎え、再開した会津北嶺高は会津若松市神指町の専用グラウンドで初練習を行い、3人の新入部員が「目指すは甲子園」と夢に向かって始動した。あれから3年、1年の県大会は25年ぶり夏の甲子園出場経験校2回戦に当たり0-39で惨敗それから2年、令和2年の県大会では強豪校に初回5点を上げるようになり、昨年の第43回全会津高等学校野球選手権大会では10-0の5回コールド勝ちを修めるようになりました。コーチも甲子園出場経験木口さんを迎え、部員も北海道・関東・関西・沖縄から集まってくるようになりました。目黒勝男先生に先日、今年の春には野球部専用のビニールハウスを全会津の大きさで作りますと、報告のお電話を入れたところ、入院なさっているそうです。先生は再開直後から、練習試合、本試合に応援にお出でになり、野球部員を褒め、応援してくださり、本当にありがたい方です。先生のご病気が一日も早く治るように、祈っております。

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