会津北嶺高等学校

建学の精神は「博愛・自由・平等」
全科1校時50分、完全7時間授業

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会津北嶺高等学校 遠足 歴史散歩

6月11日(金)快晴・今回は飯盛山から戸の口堰を通り東山の御廟のコースでした。昨年はコロナで中止、一昨年は田中会津藩家老藩政の大改革「天明の改革」を提言し大きな成果をあげ。また、藩校「日新館」を創設、会津藩が文武ともに天下の雄藩となる基礎を築き。会津藩樺太出兵の最中、61歳でこの世を去りました。「わが骨は鶴ヶ城と日新館の見えるところに埋めよ」と遺言し、墓はそれらの見渡せる小田山の山頂にあります。鶴ヶ城から小田山コースでした。

院内御廟(いんないごびょう)は、会津藩主であった松平家の墓所のうち、会津若松市東山町大字石山にある墓所のことです。

 江戸時代この墓所の場所全体が「院内山(いんないやま)」と呼ばれていたため、通称「院内御廟」として敬われ、現在まで親しまれてきました。

 院内御廟には、二代藩主保科正経(ほしなまさつね)公から九代藩主松平容保(まつだいらかたもり)公までの歴代藩主と、その側室や子どもが埋葬されています。

 初代保科正之(ほしなまさゆき)公の墓所は、猪苗代町にある土津(はにつ)神社にあります。

 墓所のはじまりは、初代正之公の子どもである正頼(まさより)が明暦三年(1657)に亡くなり、その埋葬場所として、南向きの山でよい清水が出るためこの場所が選ばれました。その後、二代藩主が葬られ、三代藩主の際も院内山に埋葬されることが決定して、歴代の藩主の埋葬地として歴史を刻むこととなりました。  墓所の範囲は、15ヘクタールにもおよび、荘厳な景観をつくりだしています。

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